岡山地方裁判所 昭和45年(わ)243号 判決 1971年2月01日
主文
被告人を罰金一五、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
本件公訴事実中、業務上過失傷害の点につき、被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和四四年一〇月二九日午後七時ころ岡山市柳町一丁目一番二五号先道路において、普通乗用自動車(トヨペットクラウン、岡五な四八二一号)を運転したものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)<省略>
(無罪部分の理由)
一、本件公訴事実中、業務上過失傷害の点は、
被告人は、継続反覆して自動車運転の業務に従事しているものであるが、判示無免許運転の日時、場所において、前記自動車を時速約二五キロメートルで運転し、岡山駅方面より大供交差点方面に向け南進中、およそ自動車運転者としては、絶えず前方左右を注視する等して事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り約二〇〇メートル前方の信号機の灯火に気をとられ漫然進行した過失により進路前方横断歩道直近を東方から西方に小走りに横断中の大西昇(当時二七年)に四メートルに接近してはじめて急制動の措置をとつたが間に合わず、自車左側を同人に衝突させて路上に転倒させ、よつて同人に対し加療約一ケ月間を要する左頸骨骨折等の傷害を負わせたものである。
というものである。
二、右事実のうち、被告人運転の自動車が時速約二五キロメートルで進行していたとの点、および右事故が被告人の過失にもとづくとの点を除き、その余は前掲各証拠および当公判廷における証人大西昇の証言、証人河崎敏子尋問書、医師佐能正作成の診断書、当裁判所の検証調書によつてこれを認めることができる。
三、そこで、右事故につき果して被告人に過失が有つたか検討すると、前掲各証拠によれば以下のような事実が認められる。
1、本件事故現場は、国鉄岡山駅より南方岡山市役所前大供交差点に通ずる道路上でこれに西面して建つている山陽新聞社々屋前附近であるが、現場附近の道路状況は幅二メートルのグリーンベルトを中央にして、両側各一二メートルの南行および北行の各車道に区分され、この車道は平担かつ見とおし極めて良好で速度制限毎時五〇キロメートル、駐車禁止とされている。本件事故が発生した南行車道は、さらに路面に白線の表示をもつて四車線(うち三車線は幅各三メートル、歩道寄りの一車線のみ幅2.5メートル)に区分されている。
南行車道の東側に、幅4.6メートルの歩道があり、この歩道上には、車道沿いに、高さ0.77メートルのガード・フェンスが、横断歩道附近や横路地への入口附近などを除いて設置されており、また事故現場北側には幅三メートルの横断歩道(以下本件横断歩道という)が東西に設定されている。
車両の通行量も多く、本件事故発生直後の実況見分時には一分間に約三〇台程度であつた。これら南行車両は、本件事故現場の南方約一五〇メートルにある大供交差点の信号機が停止信号となつたときは、右交差点より北方に停滞し、その後尾が容易に本件事故現場附近にまで及ぶことが認められる。
2、被告人は、本件事故当時、前記自動車を運転し、助手席に河崎敏子を同乗させ、岡山駅方面より大供交差点に向け、南行車道のグリーンベルト沿いの車線(歩道沿いの車線より数えて四番目、以下第四車線という)を、南進して本件事故現場にさしかかろうとしたところ、前方大供交差点の停止信号により信号待ちとなつた南進車両が、各車線を埋め、その最後尾が本件事故現場附近に及んでいたため、被告人は本件横断歩道から2.25メートルに引かれていた停止線の表示の手前で一時停止し、前方大供交差点の信号がかわるのを待つていた。このとき被告人の前方にはパブリカがとまつており、歩道よりの左側の車線にも被告人の車と並んで停止している車両があつた。やがて前方の信号がかわり、停滞していた先行車がいずれも進行しはじめたので、被告人も発進し、同一車線上を進んで、本件横断歩道上を通過した直後(前記停止地点より約11.8メートル進行していた)被告人のすぐ左側の車線を走行する車両(被告人より見て左前にはトラックが進んでいた)の間げきを縫つて小走りに出て来た被害者大西を、左前方約3.6メートルに認め被告人は制動措置をとつたが及ばず、同人に自車左前バックミラー附近を衝突させるに至つた。(右大西昇を発見した時点での被告人の自動車の速度を、被告人は、時速約二五キロメートルと述べているが、前方の停滞車が徐々に進行していつたものと考えられること、前記のように発進して約11.8メートル走つていたにすぎないこと、発見地点より約7.3メートル、衝突地点より約3.7メートル走行して停止していること、などより考えて、時速二五キロメートルまでは加速していなかつたのではないかと思われるが、この点は被告人の過失の有無を認定するに当りさほど影響はないと考えられる。)
3、被害者大西昇は、本件事故による受傷のため、事故当時の記憶に判然しない節があるが、当時所用のため、本件事故現場東側にある山陽新聞社に赴き、同社屋南側の守衛室で用務を終え、岡山駅西口で午後六時三〇分に待合わす約束をしていた友人の所に行くため、同社西側の歩道にまわり、さらに反対側歩道に渡るべく本件車道上に進出して行つたが、当時既に友人との約束時間に遅れていたため、心せかれて横断歩道を渡らずに、同社前に設置されているガード・フェンスの間から、前記のように停滞していた車両が徐々に進行する間げきを縫いつつ、右前方へと斜めに小走りに第四車線まで進出して行き、本件事故に至つた。
右事実によると、本件事故の発生した道路は、片側四車線、中央区分帯、ガード・フェンス、歩道の設置された極めて整備された、交通量も多い幹線道路であると認められるが、かかる幅の広い南行専用道路を多数の自動車が同時に並進していたのであつて、このような場合、第四車線を走行していた被告人としては、横断歩道の直前など、歩行者の出現が予想されるような具体的事情の存しない限り、同一車線上あるいは側方車線上を進行する先行車に視界をさえぎられ、左斜め前方への見とおしが不可能なまま走行し続けたからといつて、前方左右に対する注視義務違反があつたとは解せられない。むしろ、被告人は、先行車の運転者を信頼し、左側の歩道上から進入してくるかも知れない横断歩行者の発見、これに対する警告義務を先行車の運転手に委ね、先行車が警音器を吹鳴し、又は徐行し、或いは方向を転ずるなど、危険の発生を予知しうるような措置に出た場合に、これを即応して臨機の措置をとり得るよう先行車の動静を絶えず注視するをもつて足りるというべきである。それ以上にさらに進んで、先行車に視界をさえぎられて左斜め前方の見とおしが不可能となれば、直ちに減速徐行して先行車との間隔を十分にとり、左斜め前方に対する注視を容易にしたうえ横断歩行者の早期発見につとめるがごとき義務があつたとすることは到底できない。
そして、前記認定事実に徴すると、被告人において、先行車の動静を見落したため臨機の措置がとりえなかつたと認められるような形跡も存しないのであるから、被告人には前方左右の注視義務懈怠があつたとは認められない。
なるほど、本件事故は、横断歩道を通過した直後に発生しており、横断歩行者のあることが予想されるような事情があるように思われないではないが、被告人としては右横断歩道の直前で停止したのち、発進した直後であり、前認定のような道路および交通状況よりみて、むしろ歩行者は横断歩道を渡るのが通例であると信頼するに十分な状況があり、横断歩道の場所から無謀にも並進車両の間げきを縫つて進出してくる歩行者のあるべきことなど予測しがたいものと考えられるから、この点においても被告人に過失があつたとは言い難い。
また、被告人が被害者を発見した後の措置においても特に責められるべきものがあるとは認めがたい。
四、以上要するに、本件において被告人に過失があつたものとは認められず、本件事故の原因は、被害者大西昇が不用意に車道を横断したためによるものと言わざるを得ないから、本件過失傷害の公訴事実は、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。
(訴訟費用について)<省略>(谷口貞)